2016/11/25

バターリア・レティツィアとシチリア 3/3

 
(承前)
先進国の日常にあっては死体は用意周到に人々の目から抹殺されている。にもかかわらず、地中海のこのイタリアの島にはこん なにも日常に死が晒されているのか、ということにまず驚く。モノとなったからだ、しかしそれはモノではなく人としての形体を保ち、あくまで人であることの 気配を強く漂わせている。シチリアの社会的崩壊をセンセーショナルかつ象徴的な写真によって、レティツィアとフランコは世界に提示した。


マフィアの構成員や殺害された人々を写したモノクロ写真を見ているいると、マリオ・ジャコメッリ (Mario Giacomelli)の作品が頭をよぎった。ジャコメッリも同じくイタリアの写真家だが、場所はイタリア半島の東と西で対極にあり、ジャコメッリの場合は海辺の小さな町にひっそり暮らす人々や修道士の姿を追っている。しかし、被写体は異なっても土地に根を張って暮らす人々の営みを、モノクロームの世界に閉じ込めている点は共通している。さらに、人物の空間的な配置からくる空気感のようなものが驚くほど似ている。

おそらくはたがいに意識することはなかったであろう写真家たちの、それでも同時代のイタリアを生きたことによるものだろうか。土地のもつ不可思議な力がそこから匂い立ってくる。

レティツィアたちの写真にはたしかに死体が写っている。しかし、じっと見ているとその刺激性よりも、死体を取り巻くシチリアの人々の群像が染みてくる。彼女はいたずらに死体を撮ろうとしたのではない。マフィアのいる社会に生きている人々の、その性の姿を撮りたかったのだろう。 (了)


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