2016/08/25

アーロン・シスキンのミロ写真



ミロがモノクロ写真を撮ったらこうなるのかもしれない、と思わせたのは、アーロン・シスキン (Aaron Siskind, 1903-91) の写真を見たときだ。
そこではグラフィカルな視覚効果が中心に考えられ、ミロのような幻想はなく、ただただ風景のなかに見出した模様が無機的に浮遊している。そこにいくばくか乾いた抒情が漂う。抒情というより、諧謔というほうが近いかもしれない。



ニューヨーク生まれのシスキンは、20代の後半から独学で写真を始め、フィルム・フォトリーグ(フォトリーグの前身)に参加。ハーレムなどを撮影した社会性の強いドキュメント作品を残している。フォトリーグというのは、1936年から51年までニューヨークにあったドキュメンタリー写真を標榜する写真家たちのグループだ

ところが、40年代になってこれまでの作風から大きく転換し、埠頭に捨てられた手袋といったモノを、主観的な視線を重視した作品を多く手がけるようになった。ボストン北部で撮影した海岸の岩や海草、ロープなどが、彼をモノ狂いにしていった。打ち捨てられ、意味を失ったもの。たとえばそれは古びたポスターであっ たり、塗装がはがれかけた壁、あるいは落書きの一部であったりする。それらがクローズアップで撮影され、抽象的なその形がなにか微弱な電波のようにメッ セージを放ち、それが見るうちにどんどんどんどん強くなってくる。

当時は報道から、こうした抽象的表現に転向する写真家も少なからずいた。ただシスキンが興味深いのは、被写体のもつ形への興味が、自身の内面に向けられた視線と微妙にシンクロしていることだろう。別の言い方をするならば、被写体と自己の隔たりを意識することで、被写体がもつ形体のの自立性を確保している。これは現代美術そのものがそれに気づき、開拓してきたことでもあるだろう。その意味でも、シスキンの仕事の意義はおおきなものがある。

こうした作品は、デ・クーニンやフランツ・クライン、ラウシェンバークらの抽象画家たちにも影響を与えている。


■関連本
・ Road Trip: Photographs 1980-1988 (Untitled)

・ Aaron Siskind

・ The Complete Architecture of Adler & Sullivan 


    

0 件のコメント:

コメントを投稿