2016/06/25

鈴木八郎、過酷な庭 1/2


「鈴木八郎のまなざし - オリジナルプリント - 」

鈴木八郎(1900-85)の名前は、写真雑誌『カメラクラブ』『写真サロン』の編集長とアーカイブされていることが多いのかもしれない。戦前戦後という時代が激しく動いていたころのことだ。しかも、写真撮影のための指導書を60冊以上も出版し、晩年はペンタックスギャラリーの館長も務めた。



経歴を見ると、1900年北海道余市生まれ。16年に早稲田工手学校(現:早稲田大学芸術学校)建築科に入学するが、中退して写真スタジオなどで働き始める。21年には出版社アルスに入社し、写真雑誌の編集に携わる。31年コダック・ジャパン・リミテッドに入社しカメラ関係の書籍などの編集を行う。36年アルスへ再入社し、編集長として『カメラクラブ』創刊。戦後の51年には玄光社に入社し、編集長として『写真サロン』を復刊させた。

その一方で、1910年代から写真撮影にも携わり、24年仲間とともに写真結社「表現社写真会」を結成。26年日本初のコマーシャル写真スタジオ「金鈴社」を共同で設立するなど、積極的に作家活動を展開している。

その鈴木が38年、すなわち昭和13年にアルスから写真集「わが庭を写す」を出版している。自宅にある10坪ほどの庭を3年かけて撮影したものだ。これがいい。趣味人や粋人として小世界をとっているわけではない。きな臭い時代にあってそれに対峙する意思を懐に抱いての撮影と読み取れる。 (つづく)


■関連本
鈴木八郎写真集

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