2013/06/19

ジャン・ロー、普通であることの存在

フランスの写真家ジャン・ロー(Jean Rault,1949-)は、ポートレイトと庭という2つのテーマを写真の軸にすえている。
まず、彼の撮る無名の人物たちは自らの裸体をレンズに晒している。おそらくその日常空間で。それは取り立てて官能的でも、異様でもなく、まるで自身の裸体を見るかのような感覚さえもたらす。しかも男女にかかわらず。


自身の裸体を見るような、という感覚は、彼らの姿がもちろん私に似ているからではない。むしろ、それぞれの身体は個を主張し、だれでもない固有の「私」であることで、見ごたえのある存在感を備えた写真となりえている。ただ、どの身体もが日常性に支えられつつ、同時にそれに倦んでいるという事実を、写真は暴きだしている。
 
庭。とりわけ日本滞在中に撮った京都の庭園を見ると、写真家がフランス人の見る日本という典型に陥らないように、きわめて注意深く撮影をしたか気づく。たとえば竜安寺の石庭を撮った写真には、意識的にオーラを排除しているように映る。そうした関心の持ち方は、まさに普通の人々の裸体を撮る写真家のそれに通じるのではないだろうか。


Du Portrait Portraiture


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