2012/12/01

川田喜久治の粘りつく記憶


川田喜久治は、敗戦を17歳で迎えている。第一作品集『地図』がでたのはそれから20年後の1965年だ。しかし、川田の世代には、やはり戦争によって刻みつけられた身体感覚のようなものが、黒々と焼きつけられているという印象をもつ。しかも極めて完成度の高いかたちで。

『地図』は限定800部という部数もあって、なかなか目にする機会の少ない写真集だ。全ページ観音開きというブックデザインは同世代の杉浦康平によるもので、序文を書いているのは大江健三郎だ。そこにはまるでコールタールのような独特の粘りつく世界がある。

川田は立教大学を卒業後、新潮社を経てフリーになった。『地図』をだす6年前の59年には、東松照明、奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」を結成。以降、国内外を積極的に取材し、緻密に作りこまれた写真集の出版をその活動の中心としてきた。

その作品を見ていると、原爆ドームの壁に残された黒々としたシミから出発し、戦後の地図を描こうとした試みが、たえずその根底に内包してきた廃墟に端を発しているのだと思える。98年にP.G.Iで開かれた写真展「カー・マニアック」では、20世紀の象徴でもある自動車を、これほどまでに暴力的なイメージとして提示できるのかと思わせるほど、強烈な世界だ展開される。あえて喩えるならば、スティーブン・スピルバーグ監督の処女作『激突』にも通ずる無気味な凶暴さが、そこにある。あるいはJ.G.バラードの原作をデビッド・クローネンバーグが監督した『クラッシュ』の世界のような。
それらは、過去の記憶に身を浸しながら、どこか未来の記憶を予兆しているかのようだ。





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