2012/11/15

シャルル・フレジェと顔


シャルル・フレジェ(Charles Freger,1975 -) は、20022月から翌年11にかけて日本に訪れ、力士たちを撮影した。なかでもアマチュア相撲の力士たちを撮ったものは、ずいぶんと興味深いものがある。フレジェは土俵ではなく、若い力士たちがふだん稽古している場所を選んでいる。日常的な空間をあえて撮影場所とすることで、相撲にまつわる格式ばった伝統性を拭い去ろうとしたのだろう。
ところが、ごくふつうの少年あるいは青年であるはずのアマチュア力士たちは、「力士」という枠組みのなかにその身を置くことで、その顔が徐々に変わってゆく。こうした関心のもち方は、アウグスト・ザンダー(August Sander,1876-1964)が撮った数多くの写真に通じるところがある。
ザンダーは撮ろうとしたのは社会によって条件づけられていく顔だった。ザンダーの写真を目にして、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin,1892-1940) は写真という複製芸術によってアウラが消失してゆくことに思いいたった。フレジェもまた自らの写真になんらかのアウラを持ち込もうとしたわけではないでだろう。それよりもむしろ、自身の主観を排し、社会学的な探求に近いような関心のもち方によって写真を撮っていると思われる。

フレジェは力士のほかにも、スイミングクラブの選手や水兵、路上の清掃係、消防士などある集団に属する若者のポートレイトを撮り続けている。その表情はやはり帰属集団ごとに特色があるようだ。彼は一連の写真をユニフォーム・ポートレイトと呼んでいる。
ただし特定の集団の匂いが、彼の写真から濃密に匂ってくるかというとそうではなく、むしろ希薄だ。そこがまた興味深いところでもある。

現代の肖像写真は、ある人物に迫ることでなにか人間の本質にふれようというのではなく、個人にまつわりつく社会的な地層に眼を向けているようだ。顔に表れた主体性あるいは意味性。それらを撮影することは、どこか虚しさが漂う。その空虚をまるごと写しとることが、写真というメディアの使命であるかのように。(050308)

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