2011/10/15

ジェルメーヌ・クルル:肖像 3/3


1930年代半ばから、ジュルメーヌ・クルルはモンテ・カルロやモナコ、さらにブラジル、フランス領赤道アフリカへと移り住む。ナチスの台頭を嫌ってのことだった。44年にフランスに戻ってくると、パリ開放を写真に収め、その後2年間は戦争特派員として東南アジアのバンコクに滞在する。そこでホテルを経営するなど、結局20年という年月を過ごすことになった。
その間、ダライ・ラマに傾倒し、インドに亡命したチベット仏教徒たちと暮らしをともにしたりもしている。
フランスに再び戻ってくるのは1966年のこと。パリで1年間を過ごし、アンドレ・マルローの支援を受けながら、最初の回顧展(67年)を開いた。写真としては、機械主義ともえる機能美をたたえた写真群には、いまとなってはそれほど関心を惹くものではない。この類いの写真のなかで、それらがどれほどユニークな特性を備えているかは疑問だ。たしかに技量やアングルといった写真技術を含め、歴史的な意味合いはあっても、それはいまでは特殊といえるものではないだろう。

むしろ肖像写真にこそその魅力はあって、マルローや生涯を通じて交友を結んだジャン・コクトー(写真左)、コレットといった小説家、あるいは女性写真家のフローランス・アンリを撮った作品など、それぞれの人物のもつ微妙な感覚のようなものを捉えて興味深いものがある。
なかでも出色なのは1925年、まだ20代だった自身の肖像写真だ。顔を隠すように構えた小型カメラ、それを支える片手の指にはタバコをはさみ、小指には小ぶりの宝石が見えている。全体にソフトフォーカスがかけられているが、その印象はどこか妖しく無気味なものを孕んでいる。それが当時の彼女自身なのだろう。

この20年代に撮られたスナップにも、なんとか時代にふれようとする若いクルルの神経の震えのようなものが感じられる。やはりクルルの写真の魅力は、人生をかけて時代を撮とってきた経験、あるいはそう運命付けられたひとりの女性の、打ち震える神経のようなものかもしれない。『ハンドルにのせた手』(1928)は、そんななかでも好きな作品のひとつで、感傷的ではあるが、彼女の心情のようなものがこれを通して透けて見える。

クルルは最晩年に病いにかかり、ドイツのヴェッツラーへと戻ってゆく。ほぼ90年にわたる人生は、地球をぐるりと回って、その始まり地で終えられた。 (了)



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