2011/10/30

エリナ・ブロテルス 3:ゴドー

風景もまた、近年のブロテルスにとっては重要なモチーフだ。『ニュー・ペインティング』シリーズは、近世ヨーロッパ絵画の風景を自身の写真のなかに取り込みながらつくりあげたもので、そこにロイスダールやときにフェルメールを感じる。
ここ数年、ヨーロッパの写真家には近世に描かれた理想的風景に寄り添うような作品が見られるが、かといってそれは過去の模倣ではない。失われた時へのオマージュでもない。おそらくは現代の空気のなかに当時のような時代変革の匂いを感じとって、それをイメージ化しようとしているのだと思われる。

ドイツの女性写真家ベアテ・グーチョウ(Beate Gutschow)がそうであるように。『モデル・スタディ』や『泳ぐ人』などのシリーズは、『ニュー・ペインティング』と同様、風景のなかに人間を埋めこむようにして、新しい時代感覚をイメージ化している。前者は主に室内、後者は水辺がその背景となり、ニュー・ペインティングでみせた山や野を背景とした作品群と見比べると、その共通性や違いがよくわかる。

それぞれに共通して登場するのは、こちら側に背を向け、不自然なまでに風景に見入っている女性たちの姿だ。ときには深い青をたたえた水の中に、裸で入っていこうとする女性の白い背中が大写しにされることもある。なにかが起こりそうな張りつめた気配。しかし、なにも起こらずその張りつめた空間だけが、やがて現実から分離していくような感覚。
これはある意味で、現代における『ゴドーを待ちながら』の末裔なのかもしれない。待ち続けることの悲しみと愛おしさが、彼女の凍りついたような時間と空間の表現のなかにある。それはとりもなおさず、彼女が初期に描こうとした自己分析的なポートレイトの果てにある世界であり、生きることの実感なのだろう。 (了)
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