2011/10/27

エリナ・ブロテルス 2:生きられた経験

『愛について・・・』シリーズで気になるのは、自身との距離のとり方だろう。
ブロデルス自身の結婚を写した『結婚の肖像』 (1997)、同じく離婚した時の『離婚肖像』 (1998)、『私はセックスを嫌う』 (1998)などは20代の女性にとって抜き差しならない事態を、冷めるでもなく熱くなりすぎるでもなく捉えている。ここでは生きられた経験が写真によって形や色をあたえられ、それがまた経験に還元される。そんな構造があるのかもしれない。つまり、表層的に現代を生きる女性の生態を記録するというより、もっと生活に密着した思考が彼女のなかにあって、それが写真表現と密接に絡んでいるということだ。

ブロテルスはのちに『ニュー・ペインティング』(2001)というシリーズを撮ることになるのだが、そこでは彼女の私的な物語はより美しく、同時により広い世界のなかに溶けだしていく。
このシリーズのなかに『洗面所の女』という作品がある。小さな浴槽にうずくまる裸の女性を撮影したもので、そこには痛ましさがにじんでいるのだが、同時に等身大の人間を写しているという安心感のようなものを感じる。原題は“Femme a sa toilette”。フランス語でタイトルをつけるのは、パリに住んでいるという事情に加えて、異国の言語環境のなかで暮らす彼女の状況をモチーフとしているという意思表示でもあるのだろう。

その環境はなにもせずに放っておけば彼女自身を孤独に陥れてしまう。その状況を回避するためには、異質な環境を自身のなかに取り込んで行く、あるいはそれに馴染んでいかなければならない。しかし、表面的にはそれをなしえても、どこか薄い皮膜のようなものがあって、それを拭い去れないのではないだろうか。

ブロテルスの作品は肉体をモチーフとしたものが数多くある。それを見るうえで“薄い皮膜”という感覚は重要だ。この膜を突き破ることはせず、その膜を通して世界と触れ合うという感覚。それは同時代の写真家に共通するものかもしれない。 (つづく)

■関連本



0 件のコメント:

コメントを投稿