2011/10/12

ジェルメーヌ・クルル:移動 1/3

移動の世紀。
ジェルメーヌ・クルル(Germaine Krull,1897-1985)は、このいささか手垢のついた言葉を、身をもって体験した女性写真家といえる。
クルルは1897年、ポーランド(当時プロイセン)の工業都市ポズナニ近郊に生まれた。両親はドイツ人で、エンジニアの父は彼女を学校に通わせることなく自分で教育を施した。15歳で両親が離婚するまでそれが続く。この間も、イタリアやスイス、フランスなどなどヨーロッパ各地を一家は移動している。

写真の勉強を始めたのは18歳のころで、ミュンヘン写真教育研究所に3年間通った。彼女にとって、これが最初の公的教育だ。のちに自伝の執筆なども行なうことになるのだが、ドイツ語、フランス語、英語などに通じながら、一方でその文法はあやふやなところがあり、文章もかなり読みにくいものだ。多分に教育の影響が大きいだろう。

学生時代には政治に関心をもち、街頭デモにも参加。共産主義に接近し、1920年にはソ連からの逃亡者を支援したということで投獄されたこともある。ロシア人革命家レヴィットと最初の結婚をしたのもその頃で、ふたりはロシアで1年間ほど生活をすることになる。その間も政府から嫌疑をかけられ投獄され、銃殺されかけたこともあった。

今橋映子『〈パリ写真〉の世紀』によれば、この銃殺劇は兵士たちの悪戯だったらしいが、クルルにはトラウマとなって残り、死の影に悩まされ続けたという。ロシアでの生活は夫が彼女を置き去りにして、一人逃亡したことにより幕を閉じてゆく。

その直後、1922年にはクルルは20代半ばでミュンヘンに写真スタジオを開設。友人たちのポートレイトや印象的なヌード写真、静物などを撮った作品を残している。ここで詩人リルケや哲学者ホルクハイマーなどの知己を得た。ちなみにこの時代には女性が身を立てる手段として、写真が大きくクローズアップされていたようだ。クルルもそうした若く活動的な女性のひとりだった。 (つづく)

Germaine Krull: Photographer of Modernity

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