2011/09/23

チェコ前衛写真3:フンケ



階段状に重ね合わせたいく枚かの薄いガラスのうえに、2個の蜜柑をおいて撮影された作品がある。ヤロミール・フンケ (Jaromir Funke, 1896-1945)1935年に制作したもので、タイトルは『無題』。
これを見たとき、ふいにバウハウスの芸術家オスカー・シュレンマー (Oscar Schlemmer, 1888  -1943) のトリアディッシュ・バレエが頭に浮かんだ。床に描かれた幾何学的な直線模様にそって、ダンサーがロボットのような動きを繰り返すダンスは、モダニズムの合理的思考と身体の有機性との干渉によって、冷たさのなかにある笑いのようなものを感じさせてくれる。
フンケの『無題』にもその笑いがある。彼の場合、その笑いがリリシズムとなって画面に姿をみせることが多いだろう。チェコ・モダニズムと併走しつつ、身体やモノに対するある種の情感を一方の支えにしたその作品群。それらからは、チェコ前衛写真におけるフンケの独特なスタンスを読みとれる。

フンケは1896年にスクテチュの弁護士一家に生まれ、コリーンという町で育った。プラハのカレル大学へ進み、医学と法学を学ぶが、卒業に失敗。美学、美術史に方向転換し、少年期から興味のあった写真を本格的に始めるのは1920年頃のことだ。

当初はやはりピクトリアリスムに影響された写真を撮っているが、すぐに光と影による抽象的構成を図った習作へと移行している。24年には同郷の写真家ヨゼフ・スデック (Josef Sudek, 1896 -1976)らとはじめての個展を開き、「チェコ写真協会」を設立。20年代後半になって非定型の抽象写真に取り組み、29年になって雑誌の編集などを通じてカレル・タイゲや将来の妻アンナ・ケレロワ(Anna Kellerova, 35年結婚)と知り合っている。

31年には「スロヴァキアのバウハウス」といわれたブラチスラヴァ美術工芸学校(SUR: Skola Umeleckych Remesiel) などで写真を教えるかたわら、スロヴァキア北部タトラ地方を取材。34年に同美術工芸学校の教授となり、この頃にはダイナミックな対角線を持った機能主義的な建築写真を撮っている。しかし、やがてナチスの影がチェコを覆い始め、作品の発表は著しい制約をうけることになる。やがてナチスは崩壊しますが、フンケもまた虫垂炎の手当てが遅れて命を落とした。453月、享年48歳だった。 (了)


■関連本
Jaromir Funke
Czech Photographic Avant-Garde, 1918--1948

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