2011/08/22

中山岩太のモダニズム 1





写真を芸術に高めようと、大正期には特殊な技術で画像をぼやかせた「芸術写真」(ピクトリアリスム)が流行した。ところが、昭和になると、写真が本来もっているシャープで明晰な画像によって、新たな作風を追求する動きが高まってくる。「新興写真」といわれたドイツ風の前衛的な表現様式で、これを日本にもちこんだのが中山岩太 (1895-1945)だった。


中山は明治28年(1895)福岡県に生まれ、東京で育った。長じて東京美術学校の臨時写真科に第1期生として入学する。ちなみに同科は美術写真科として1926年まで存続し、昭和期に活躍する多くの写真家を輩出した。この写真科を大正7年(1918)年に優秀な成績で卒業すると、中山は9年間にわたってニューヨークやパリで写真家として活動する。

昭和3年(1928)に帰国し、いったんは東京に居を定めながら、まもなく芦屋(当時は武庫郡精道村)に移り住む。芦屋はすでに関西の高級住宅地として知られ、帰国の翌年、中山はさっそくハナヤ勘兵衛らと「芦屋カメラクラブ」を結成し、精力的に展覧会を開催することになった。 (つづく)

■関連本
中山岩太―Modern photography
日本の写真家〈7〉中山岩太

0 件のコメント:

コメントを投稿