2010/09/20

マルティーヌ・フランク、風景としての人 1


マルティーヌ・フランク(Martine Franck, 1938-)という名前は以前から聞いていたが、その写真についてはほとんど知らなかった。知識としてあったのは、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの夫人であったということばかりで、写真も撮っていたという程度でしかない。

その名を久しぶりに見かけたのはこの夏のことで、東京・銀座ののシャネル・ネクサス・ホールで彼女の写真展が開催されるという。「女性への賛美」をテーマに、この写真家が撮ったフランスの女優や京都の芸者、あるいは移民施設で暮らす女性などモノクロ約60点が展示される。たとえばこれまでにも、京都・祇園の何必館で2008年秋にマルティニーク・フランク展が開かれた。興味がないではなかったが、訪れる機会はなかった。

おおよそフランクの写真を見て感じていたのは、子供たちや女性のなにげない姿を、ブレッソン式の「瞬間」で切りとっているというものだ。構図の切れ味はかなりいい。そのなかに柔らかい味がある。写真が優しい。だからかえって、物足りない、という感じも持っていた。

今回の銀座の展示では、女性が見た女性への憧憬、あるいは信頼といったものが感じられる。それはやはり写真家に染みついた、人に対する姿勢なのだろう。

ざっと経歴をたどると、1938年ベルギーのアントワープ生まれ。少女時代を米国で過ごし、その後イギリスやフランス、スペインで教育を受ける。根っからの国際派だ。それにマドリッド大学やルーヴル美術館内にあるエコール・ド・ルーブルで美術を学んだ。とくにエコール・ド・ルーブルは芸術家を育てるのではなく、保存修復の専門家つまりコンサベータの育成が目的の教育機関だ。若いころのフランクには、自らが創造者でることよりも、技術者であること、その技術を通じてアートにふれていることが重要だったのだろう。その感覚は後年にもついて回り、彼女のある種美意識のようなものにつながっている気がする。 (つづく)






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