2010/07/30

ブラッサイの視線 1


パリに耽った時期があった。そのころブラッサイ(Brassai, 1899-84)の撮ったガーゴイルの写真を見て、その悪魔的妖しさに惹かれた。ノートル・ダム寺院からパリの街を眺めているあの怪物だ。


長くファッション写真などに関わったこともあり、ブラッサイの風景写真は構図が決まりすぎて、やや技巧的な印象を受ける。ときには詩情が強すぎて、甘さを感じることもある。
しかし、パリへの憧憬は充分に伝わってくる。息のできないほど、街の深部に身を沈めたのだと思わせる。その意味では、ブラッサイはまぎれもなくあの街に魅せられた写真家であり、パリの異邦人のひとりだった。やはりパリの異邦人だった米国の作家ヘンリー・ミラー(Henry Miller)をして、パリの目玉(L'Oeil de Paris)と呼ばしめたのも、街を見据える力ゆえだ。

ブラッサイは1899年ハンガリー(現:ルーマニア)トランシルバニア地方ブラショブに生まれた。本名ジュラ・ハラース(Gyula Halasz)。父親はフランス文学の教授で、母親はアメリカ人。3歳の頃、父親がソルボンヌで教えることになり、家族でパリに暮らしたことがある。知的かつ文化的な環境に育ったといえる。長じてブダペストにあるハンガリー芸術アカデミーで油絵や彫刻を学んだのち、23年パリに移り住む。ブラッサイ(ブラショブから来た男)と名乗り始めたのは25年頃からだ。その後、48年に帰化している。故郷ブラショブには85年の生涯を閉じるまで、二度とその地を訪れることはなかった。

20年代にはピカソやダリらと知りあい、ブラッサイは画家であると同時に、ジャーナリストとして雑誌に記事を書いたりしていた。当初は写真に興味などなかったが、雑誌の仕事を通じて少しずつ撮影をするようになる。カメラは同郷の写真家アンドレ・ケルテス(Andre Kertesz)から借りたという。




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